秘法典(承前)

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『御蚕様』

昭和七年版の為の即興的描写

 

 

 大正末期から昭和初期にかけての日本は、いわゆる戦争景気による繁栄と、世界恐慌による不況を、二つながらに体験する事になった。暗い土間で、靴が踵にかからない芸者の為に、札束を燃やす成金が諷刺絵に描かれてから、大正九年の戦後恐慌まで長くはかからなかった。そして、十二年の関東大震災から、昭和二年の金融恐慌による、相次ぐ銀行の倒産……やがて来る紐育の『暗黒の木曜日』に始まる株価大暴落を景気とする世界恐慌は、亜米利加への輸出に依存していた日本の紡績、製糸産業に壊滅的なダメージを与える。この国が満州事変をきっかけに、泥沼的な戦争に突入して行くのは世界恐慌の二年後だった……

 この世相の推移に、現代日本と奇妙な符合を感じるのは私だけだろうか? 元々、他国の戦争に介入したり、戦争による領土拡張、植民地の拡大によって近代化を促進し、自国の権益……詰まるところは経済的建て直しを図って来たのが日本という国だ。現政権の閣僚や、実質的な日本の支配者である官僚達が、今更、戦争をやったら景気が良くなると思っている程の馬鹿ではないと信じたいが、歴史を学び、その財産を立脚点として創作活動を続けてきて筆者としては、次の事を思い起こさずにはいられないのだ。即ち、一つには「歴史は繰り返す」と云う事、今一つは「人は文明の初期から、あまり利口にはなっていないらしい」と云う事である。似たような事態が待っていないと云う保証は何処にも無い。

 これまで演劇実験室∴紅王国で扱ってきた社会的な問題は、オウム事件、少年犯罪、地域社会での毒物連鎖、エイズ差別と、今日的なテーマを扱いながらも、その物語の舞台を戦前や終戦直後という前時代に置いてきた。これらの事件は、日本が近代化を終えたために起こった、極めて過渡的な時期の事件と分析される事もある。確かに、そうした面は否めない。にも関わらず、紅王国の作品群が、観客に現代の病理を直接想起させ得たのは、過去と現在に、今日的問題の根っこが同様に存在していたから、或いは、時計の針を逆に回そうとする反動的な行為……意図するにせよ無意識にせよ、そうした保守的な感性が、現代の病理や事件に深く関わっている事の証左だと思う。

 国家的な目標を失った近代社会では、家庭と家族のあり方が、戦前とは著しく違っている。それは、近代化を目指す過程にあった日本……大日本帝国が、天皇制を家父長制になぞらえ、ある種の家族国家を形成していた事と密接な関係がある。家父長制における『家』、即ち血脈や家名の存続を旨とする、制度や組織としての『家』は、家庭や家族とは似て非なる物だ。しかし、我が国の保守系文化人や為政者達は、この『家』、即ち家制度の継続と復権が家庭崩壊や現代の病理を解決しうると信じている節がある。甚だ危険だ。

 『家』が継承させる物とは、恐らく血では無い。『家』はその血筋ではなく、名が世の末々まで続く事を望むのだ。封建時代の大名、領主、或いは家臣達の「御家大事」という発想の帰結が、他家から養子を迎えても、その『家』を存続させようとするという行動に至る事からも明らかだ。そして、『家』に対して、ある種の幻想を持った血縁者が、幾人かの集団を形成する時、そこに憑依する亡霊としての『家』という幻想が誕生するのだ。信者が居なくなれば神が滅ぶのと同様、家名に対する幻想が霧散すれば、『家』という幻想もまた滅ぶであろう。『家』は単なる幻想であって、名を継続する物に過ぎない。しかし、『家』とは血の事であると、『家』を信じる者は誤解している。婚姻は『家』が結ぶ物だが、交配や繁殖をするのが家同士でないのと同様、恋愛や個人としての男女の結び付きは『家』とは無関係な処で起こる物である。そして、家族や家庭も、血縁や家名と無関係なところで成立しうる。それは、国家や企業、或いは劇団と云った組織が、擬似的な家族関係を築いて来た事からもからも明らかだ。

 そして、近代化を終えた日本……或いは、日本のみならず、近代化を果たし、個人の時代に突入した国家や社会に暮らす人々……単刀直入に云えば、我々自身の、家族や家庭といった物も含む人間関係の構築の仕方が、家父長的な『家族制度』を、もはやお手本にはできないという事が、現代を生きる我々にとっての問題であり、そこに立ち塞がる反動的感性の表現として、昭和初期を舞台とした『御蚕様』第二稿が意味を持つであろう。先に述べたように、件の時代は、現代と同じく、経済的な行き詰まりと、天変地異と戦争の予感という、二十世紀末から二十一世紀初頭と、極めて似通った状態にある。閉塞し、息詰まった状況に生きる人々の選択肢は極めて限られている。懐古的に伝統や習慣にすがるか、新たな道を模索するか、刹那的な享楽に耽るか、絶望するか……そして、私は現代に立ち塞がるマイナスを、反動を、最も選択の余地のない常識として生きていた人々を描ききりたいと思う。その結果として描写された『御蚕様(裏)』が行き詰まり、破綻してしまった世界から、飛翔する人々に、私の……我々の未来を託したいと思う。

 1926年、NHKが設立された年に、昭和という時代が始まり、モボ、モガが流行した。

 翌1927年、金融恐慌が始まり、銀行は相次いで倒産し、芥川龍之介は自殺した。戦後不況が始まったのはこの年だった。

 続く、1928年、一回目の普通選挙が実施され、ひと月を経ずに共産党への大弾圧があり、全国に特効警察が配置された。

 1929年、旧労農党の代議士、山本宣治は右翼テロに倒れ、再び共産党は弾圧された。紐育の株価暴落から世界恐慌が始まったのは。それから半年ほど後の事だった。

亜米利加の輸入制限によって、我が国の主要輸出品だった生糸の価値は大暴落した。

世間では『東京行進曲』や『君恋し』が流行歌として口ずさまれ、壽屋が国産初のウヰスキーを発売した年だった。

 1930年……三月、沈滞気分を払拭しようとするように、関東大震災からの復興を祝う『帝都復興祭』が催されたが、そのほんの一ヶ月後、ロンドン海軍軍縮条約で、日本は英米に対する屈辱を味わう事となった。米価も大暴落し、浜口首相は東京駅で狙撃された……その年の暮れ、下町に『黄金バット』という紙芝居が登場した。時代はヒーローを求めていたのか……?

 明けて1931年、全国の小学校に御真影が配布されるようになった。現人神、天皇陛下は小学校の先生と児童に、毎朝頭を下げさせる、正しい日本のお父さんになった。昭和六年、それは満州事変が起こった年である。そして……1932年……

1月8日 桜田門事件。

     朝鮮人・李泰昌、陸軍観兵式帰途の天皇裕仁に対して投弾。

1月28日 上海事変起。

2月9日 井上前蔵相暗殺。

2月20日 上海総攻撃……22日、爆弾三勇士の美談が作られた。

3月1日 満州国建国宣言。

4月24日 第一回日本ダービー。

5月15日 五・一五事件。犬養首相射殺……

 そんな時代に、雪深い、何処かの村……養蚕、紡績、牧畜で立っている何処かの村……そこに一つの『家』がある。地域新興の中心として、代々オシラサマを祀り、継承して来た『家』である。その名を氷室という。氷室の『家』は、その地域の富豪として庄屋職を務め、将軍家、或いは皇室の氷室を守った事に因んでその名を賜り、名字帯刀を許された。維新後は養蚕と製糸によって財を増やした。つまり地場産業を牛耳る者としての世俗的権威と、地域神であるオシラサマを祀るという宗教的権威を独占して来た事になる。

 しかし、戦後不況から世界恐慌に至る一連の流れで、養蚕や製糸に関わる財産は殆ど失われ、家屋敷もオシラサマを祀る別棟を残すのみとなった。現在、氷室家の人々は、その別棟を住居として使っているが、そこに地域の人々がオシラ遊ばせの為に集まる事も絶えて久しい。オシラサマの巫女が居なくなったからである……

 オシラサマの巫女は『雪の声』を聞く事が出来る……と、されていた。(勿論、これは紅王国の作品『御蚕様』に限っての設定であるが、巫女や霊媒、或いは俳優は、一種のヒステリー気質を才能の源泉としていると私は確信している)雪の声……それは、松下体や側頭葉の資質から起こる鋭敏な感覚かも知れないし、文字通りの霊感であるかも知れない。兎に角、オシラサマの巫女は、雪が降る事、それが細雪のような物になるか、豪雪になるかという事も含め、その予感を感じる事ができ、それを『音』として認識する……そのように感じる。それは、「氷室の血による資質」とされてきたのだ。『雪の声』を聞けるか否かは、オシラサマの巫女となりうるかどうかの物差しとされてきただろう。『家』としての氷室の権威、プライドの拠り所は、この『雪の声』にある。この『雪の声』を聞く事の出来る女……御蚕様の巫女に選ばれる女性の事をオユキサマと名付けよう。

 つまり、氷室の『家』に『雪の声』を聞く事の出来る者=オユキサマが居なくなった為に、氷室の巫女を中心とした『オシラ遊ばせ』も開かれなくなったのだ。氷室の『家』にある祠では、その封印を解かれる事なく、物理的な人形としてのオシラサマは閉じこめられていたのだ。


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